記者会見での発言

柄谷行人

9/11の「反原発デモ」で、12名の参加者が逮捕されました。私はその時、現場にはいませんでしたが、その日の夕刻、新宿アルタ前の集会でスピーチをしました。その縁で、このような共同声明を出すことを依頼され、また、声明文を起草するように依頼されました。私は、起草はしましたが、最初から、皆さんの同意が得られるように客観的に書きました。また、皆さんに読んでいただいて、文面を検討しました。そうして、できあがったのが、配布した声明文です。今、それをくりかえす必要はあるまい、と思います。事実経過に関しても、他の方が話して下さると思います。

声明文では、憲法を引用したり、法律的な言葉を並べています。それは、これまで私がしたことのない言い方です。私自身がいいたいのは、それとは少し違います。私がいいたいことは、アルタ前のスピーチで話したことと同じです。つまり、日本にはデモが必要だ、デモが日本の社会を変える、ということです。それはYouTubeに載っていますから、興味があれば見て下さい。今日ここで、私はあらためて、デモの重要性について話したいと思います。

私は原発震災が起こってから、デモに参加したのですが、それ以前から、デモが重要だと考えてきました。脱原発はいうまでもなく、重要である。しかし、それとは別に、私はデモが重要だと考えていました。そして、日本になぜデモがないのか、と考えていました。もともとデモがなかったわけではないのです。私が学生のころ、それは1960年ごろですが、デモはありふれたものでした。しかし、80年代以後、デモがなくなってきました。そして、デモがないこと、あるいはデモが少なくなったことと、こんな地震の多い国に原発が54基も建てられたこととは、関係があります。つまり、それは原発に反対する意思表示ができなくなってきたということです。日本はそのような社会になってきたのです。

地震があったあと、外国のメディアは、日本人の冷静なふるまいを賞賛しました。しかし、同時に、それは不可解でもあったはずです。日本人はなぜ異様におとなしいのか、なぜ抗議しないのか、なぜ怒らないのか。しかし、昔からこのようであったわけではありません。そのような日本人の態度はおそらく、ここ20年ぐらいの間に形成されたものです。

実は、1980年代前半には反原発の運動が盛んで、デモもありました。それまで日本人は、広島・長崎の経験から、核に関して敏感であったからです。しかし、次第に、いつのまにか、そのようなプロテストがなくなった。同じ時期に、労働運動などが弱体化され、また、社会党が消滅してしまった。そして、90年代には新自由主義、つまり、資本の専制体制が確立された。そのことと、原発が大量に作られるようになったことは、深く連関しています。

しかし、3.11原発震災のあとで、デモがはじまりました。私は、たんに原発に反対するだけでなく、個々人がその意志を、デモを通して表現することが重要だと思います。その意味で、ようやく、日本人が意思表示を始めたのだ、と思うのです。私はデモがはじまったことに希望を見いだしています。そのきっかけを作ったのは、「素人の乱」のような若い人たちです。彼らは新しいデモの形式を創りだした。だから、私は彼らに感謝しています。したがって、それを抑圧するものに対して、抗議したい。それで、私は、このような声明を出すことに賛成し、協力を惜しまないと伝えたのです。

最後に、記者の皆さんにお願いがあります。現在、日本の各地に反原発のデモがあるという事実をもっと報道していただきたい。デモの存在を無視することは、弾圧するのと同様に、デモを抑圧することになるのです。

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